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決断の数だけ、人生は豊かになる

29歳で仕事を辞め、海外でプロサッカー選手を目指した物語

 

“人生って、映画みたいだなって思うんです。どうせならワクワクする展開にしたいじゃないですか?”

異国の地で、野生のサソリと遭遇したり、時には雨水をシャワー代わりに浴びたりしながらもボールを蹴り続けた。
キャリアの常識から大きく逸れた彼の生き方は、一見すると“変わっている”ようで、実はとても素直でまっすぐだった。
今回登場するのは、現在38歳の緒方卓也さん。29歳で会社員を辞め、南米・ボリビアを皮切りにアジア、オセアニアを渡り歩いた“遅れてきたサッカー選手”。
「普通」のレールを降りて、自分の“やってみたい”を軸に人生を選び直したそんな方に話を聞きました。

 

■挫折をしたが、それでも離れられなかったサッカー

 

──サッカーを始めたのはいつ頃でしたか?

小学校からです。ただ、小学生の時のチームは強くはなかったので強豪と言えるチームに入ったのは中学からですね。FC東京ジュニアユースに入って、チームは全国準優勝するような強さだったんですけど、僕自身は全然試合には出られなかったですが。

──その頃から“壁”があったんですね。

中学で挫折してそこでサッカーはやめようかなと思っていて、3年の終わりに一人一人進路を発表する場があったんですけど、みんなが「〇〇高校でサッカー部に入ります!頑張ります!」と言っている中、『サッカー辞めます』って言えなくて、それで続けることにして、というか続けることになって。高校は国士舘に進みました。

──続けてどうでしたか?

3年の時、やっと試合に出られるようになったんですが、選手権前に怪我して、結局最後の舞台には立てなかったんです。そこからは、もう本気でやるのはやめようと決めました。

──でも、完全には辞めなかった?

そうですね、大学では週末だけ父が所属していた社会人チームでプレーしていました。そこから少しずつトップチームにも混ざれるようになって。社会人になってからも、IT系の仕事をしながら、週末は東京都1部くらいのチームでプレーしていました。

 

■FTAとの出会い、そして人生を変える決断

 

──サッカー選手を再び目指したのはいつ頃ですか?

28歳ですね。元々、大学生時代にサッカーコーチのアルバイトをしていて、なんとなく“このまま指導者になるのかな”って思ってたんですが、新卒では指導者ではなくIT系の仕事を選びました。
28歳の時に鬼木さんという長友選手とかのサポートをされている方のワークショップにたまたま行ったら、“プロサッカー選手を目指している”という同い年の参加者と出会ったんです。その人がFTAというサッカースクールに所属していて、紹介されて。行ってみたら、そこにいる人たちがめちゃくちゃ本気で、でもJリーガーとかではなくて、世界のどこかでプロになりたい人たち。感化されましたね。

──そこから会社を辞めて?

はい、29歳で仕事を辞めて、FTAに通いながら午前はトレーニング、午後からはバイトをして。30歳になる前に絶対海外でプレーするって決めてました。

 

■“人生の主人公”として挑んだボリビア

 

 

──最初の海外はボリビアだったそうですね。

スペインに行きたいと思っていたけど、スペインはレベルが高すぎて、スペイン語圏で行けそうなところを探していたらボリビアだったんです(笑)
ただ、契約内容もよく分からないまま行ったので大変でしたね(笑)

──どんな生活してたんですか?

貯金を切り崩しながらの生活でたまに試合給がオーナーから渡される。お金もカツカツで、鶏を丸ごと買ってYouTube見ながら捌いたり、水道管が破裂して天井から降ってくる雨水シャワーを浴びてぬるぬるが取れなかったり。住む場所もコロコロ変わって、最終的にものすごく治安の悪い日系人が大家さんのアパートにたどり着いたり。監督の家に1ヶ月間住んだりもしました。監督の家では5,6匹のネズミと一緒に暮らしてました(笑)
ただ、ボリビアではお金がなくて良い食事はできなかったんですが、海外の選手とフィジカルコンタクトをしないといけないので、節約しながら10キロくらい増量できました(笑)

──鳥を捌く。ヌルヌルが取れない。なんかあまりイメージできないですがとにかくすごいですね・・・そんな過酷な中でも辞めなかったのはなぜですか?

すごく大変だったけど、なんか『自分の人生を自分で生きてる』って感覚があったんです。会社員だった時にはなかった感覚。ようやく“主人公”になれたと思いました。
そういえば、野生のサソリにも人生で初めて遭遇しました(笑)

■タイ、ラオス、台湾——不運も味方につけて

 

 

──その後はどんなキャリアを?

ボリビアの後は日本に戻って、経済的なこともあり次の挑戦ができるまでお金を貯めたり何なりで数年かかりました。東京都の社会人チームでプレーを続けながら準備して、タイに行くことが決まりました。タイではリモートでライターの仕事をしつつ、サッカーをしていました。
向こうは自炊をする文化はなく、外食でも200円くらいなのでご飯には困らなかったです。でも屋台クオリティだったので定期的に腹は壊してました。 ちなみに、現地の人も屋台で食べるとたまに腹壊すみたいです(笑)

──順調でしたか?

いや、全然(笑)
まずコロナ禍でタイに行き契約してプレーをしましたが、ホテルでの隔離も精神的に辛かったし、契約通りの給料が出ないこともあり、結果契約解除になったため、日本に帰ってきました。その後次のシーズンのためにタイへトライアウトを受けに行きましたが、チーム探しがうまくいかず、タイの移籍市場が閉まってしまったのもあり隣国のラオスに行くことにしました。

──ラオスではどうでした?

ラオスでは、契約はできたのですが、開幕前にチームが他チームへ買収されてしまい、外国人枠の都合で試合に出られなくなって(笑)そのチームにいても練習しかできないので、そこからは知り合いのツテを辿って台湾に行きました。
ラオスでの生活は、チームが用意してくれたホテルで生活してましたが、蚊取り線香をずっとたいていないと蚊に刺されすぎて寝れなかったり、テーブルの上に食料を置いておくと次の日にはありが全部食べていたりと、これまたすごい経験でした(笑)

──台湾では試合に出られたんですか?

いえ、ここでも問題が。。。
チームとの契約はできたのですが、ビザがおりないという事態になりまして(笑)
本来サッカー選手という職業であれば就労ビザがおりるはずなのですが、チームのオーナーがサッカーコーチもやらせたかった様で、職業をサッカー選手&サッカーコーチでビザを取得しようとしたんです。
そしたら、サッカーコーチなのになぜサッカーコーチのライセンスがないんだとなってしまい、就労ビザがおりずに帰国することになりました。
日本でそのライセンス取ってこいと言われたので、日本でライセンスを取り連絡しましたが、もう返事は来ませんでした(笑)
なので、台湾では契約しただけで終わりました(笑)

──その時の生活はどうしてたんですか?

実は、台湾が一番よくて給料が20〜30万円くらいでて、ホテル・携帯・保険・医療費も全てチーム持ちだったので全く困らなかったですね。ビザさえおりれば、、、って感じでした。

 

■オーストラリアへ

──そして直近はオーストラリアに行かれてたんですよね?

そうですね。
台湾から帰国してからは日本でサッカーしながら再度海外挑戦を見据えていました。
そんな中でお世話になっている整骨院にたまたま有名なサッカー選手が通院しており、そこから彼のエージェントを紹介してもらって、オーストラリアのチームをつなげてもらいました。

──オーストラリアではどんな生活でしたか?

2チームに所属していて、1チーム目では1試合出場したら5〜6万もらってました。住む場所も用意してくれていたのでお金に困ることはそこまでなかったですね。
もう1チームも家付き(たまに食事も)でした。かつ、リモートで日本の仕事を少しだけしてたので生活にもだいぶ余裕がありました。
空き時間にアルバイトすればさらに収入を増やせる環境だったので、下部リーグでもちゃんとやれば生活できますね。

 

■ラストチャレンジの舞台はラオス?

 

──今回のラオスでのチャレンジでサッカーには一区切りつけるんですか?

そうですね。今回のラオスで最後のチャレンジになると思います。

──挑戦の目的は?

ラストの挑戦として、サッカー選手としてどこまで通用するかを試したい。サッカー人生の締めくくりとして、納得のいく形にしたいと思っています。

 

■普通じゃないから得られたもの・手放したもの

 

──卓也さんの生き方だからこそ得られたものってなんでしょうか?
一番は経験ですね。普通じゃない生き方を得られました(笑)みんなにはないでしょう?あとは、困難を乗り越えた数も半端じゃないと思います。
それと人脈ですね。この生き方をしてなかったら繋がらなかった人たちがたくさんいる。今は色々な国に友達がいてすぐに連絡が取れるネットワークがあるのも得られたものの一つかもしれません。

──逆に手放したもの・諦めたものはありますか?
一般的な幸せというものでしょうか。諦めているわけではありませんが結婚して子供がいるみたいな生活は当時考えられなかったですね。もしかしたらこれから可能性はあるかもしれませんが。それと経済力です。実際28までは会社員だったのである程度の給与ももらえてましたし辞めずに10年働いていたらもっと経済的な余裕はあったのかもしれないですね。
きっと今動けない人の中にも経済的な理由とか結婚とかが理由な人多いんじゃないですかね。結婚は自分だけの問題ではないのでわからないですが、経済的な理由は何とかできたらもっとチャレンジできる世の中になるかもしれないですね。

 

■“後悔”が原動力になる

──多くの経験をされている中でやり直したいことはありますか?
強いていえば中学時代、サッカーをサボったことです。出られないからって諦めて、手を抜いてしまった。でも、あの時頑張ってた仲間は、高校、大学と活躍してました。あれがすごく悔しかった。だからこそ、今後悔のない選択をし続けたいです。

──後悔のない選択をすることは大事だと思います。卓也さんの人生の教訓はありますか?
“失敗はない”。選んだ道を後悔しないこと。すべては経験になるし、やってよかったって思える。行動の主体を自分に置くことが、納得のいく人生の鍵ですかね。

■そして、次の夢は“建築家”

──今後の話も聞かせてください。サッカーの次は何をやるんですか?
建築家になりたいんです。実は高校生の頃も目指してて。でも、親に反対されてやめたんです。知り合いの建築家に話を聞きに行ったこともあって、今でもあの時の気持ちは忘れてないですね。

──なぜ今、その夢を?
そうですね、サッカー選手の夢を30歳で叶えられたからですかね。だったら、もうひとつの夢にも挑戦してみたいと思ってます。建物を見に行くのも好きだし、将来は自分で設計した家に住んでみたいです。

■最後に、挑戦を迷っている人へ

──挑戦を迷っている人に、ひとことください。
ルパン三世のセリフでめちゃくちゃ響いたセリフがあって、僕もルパンみたいに自分に期待して、自分だけの物語を生きたいと思ってます。

「俺って人生の視聴者は俺だけだ。だったら俺が続きが観たくなるような物語じゃないと意味がないだろう?」
「俺は俺に期待したいんだよ。」

ルパン三世より

なので、何かで迷った時、これをやらなかったら後悔しないか?って、自分に問いかけてみてください。
その問いかけの答えに素直になってみればいいのではないでしょうか。

■編集後記(1000分の1キャリア編集部)

まず、日本では到底経験できないようなめちゃくちゃ面白いエピソードだらけでした。
挫折も葛藤も不運もすべて“物語の一部”として自分の中に取り込んでいく素敵な方で、“変わったキャリア”ではなく、“自分のキャリア”を歩まれているなと感じました。
「後悔ではなく糧にしている」とおっしゃっていたこともすごく印象的で過去の経験や選択も全ては捉え方次第なんだと勉強になったのと同時に、そう思えることが才能なのかもしれないと思いました。
卓也さんの生き方が、今まさに挑戦しようとしているあなたの背中をそっと押してくれることを願っています。
卓也さんの人生を面白がって応援したいというる方はご連絡ください!

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